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「キミのホームページには色がついているな」

 ホームページ作成と言えば,猫も杓子もまずはブログで,という感じになっている.今や「ホームページはじめました」という表現よりは,「ブログはじめました」,ということばの方がしっくりくる気がする.ホームページや電子メールといったメディアがもはやそんなに目新しいものではなくなった現在,むしろ個人としてのブログを所有しているかどうか,ということがネット上でのコミュニケーションのかたちを決めるひとつの要素になっているのだろう.

 かく言うこの文章もいわゆるブログとして書かれている.ただ,厳密な意味での「ブログ」というのは,僕の感覚では「ウェブのログ」,すなわち,ネットで見かけたウェブサイトやその記事に対するコメントを日々書き記したもの,いわば日々更新されてゆく,拡張的なブックマークのようなウェブページのことであり,そういう意味ではこのブログのような長文記事を読ませるものや,よく見かける単なる日記形式の文章などは,本来的にはブログと呼ぶべきものではない気がする.
 まあここはあまり細かいことを言わずに,今日一般に理解されているように,ウェブ上で簡単に更新・閲覧・コメントできるように工夫された日誌形式のウェブサイトを「ブログ」ととらえておこう.

 さて,ブログという形式でウェブに文章を書き連ねていくことに僕はいくばくかのためらいを感じていた.それはひとえにブログが,ウェブアクセシビリティ(=ウェブサイトへのアクセスのしやすさ)の観点からすれば,かなり見劣りのするメディアだということに起因している.
 ネットやホームページは何も別に「見られる」ことにのみ特化したメディアではない.視覚に機能障害がある人もネットにアクセスしていることは,ウェブ制作に携わる方やある程度ウェブアクセシビリティについて聞きかじったことのある方なら常識であろう.「読み上げブラウザ」という,ホームページの記載内容を音声で読み上げるソフトウェアを用いて,視覚障害者も普通にネットにアクセスしている.
 だが,ブログという形式は,この読み上げブラウザにとって天敵とは言わないまでも,かなり読みにくいホームページの書式なのである.

 昨年,とある公共機関に関するホームページ・コンテストの審査員を務めさせてもらった.僕はすべてのホームページを視覚に機能障害があるつもりで,読み上げブラウザを使用してアクセスし,審査した.僕に審査を依頼した人が,僕の専門からそういう役回りでの審査を望んでいたこともある.
 しかして結果は惨澹たるものであった.50以上ある審査対象のホームページのうち,読み上げブラウザにまともに対応していた(読み上げブラウザを意識して制作されていた)ものはたったの2つであった.残りはかろうじて読めるが情報の配置やマークアップが適切でないために必要な情報を得るのに途方もない回り道をちなければならなかったり,フレームを多用したためにサイトの構造がきわめて把握しにくいものであったり,ひどいところではフラッシュムービーがバン!バン!と出てきて(見た目にはそれは見事なものだったが,はっきり言ってどうでもいい)まるでアクセスすることが出来ないものもあった.さらには何を考えたかブログ形式のものもあった.毎日読むような個人の日記のようなものならともかく,必要な時に必要な情報をゲットしてもらわなければならない公共機関のページにブログを用いても分かりにくいだけである.

 結局,ホームページにとっては,見た目の美しさなど二の次の要素だということがほとんど理解されていなかったのである.そうではない.最も大事なのは必要な情報をきちんと受け取りやすいように配置すること,すなわち情報の「マークアップ」である.HTMLとはHyperText "Markup" Languageの略だということに立ち戻って考えなければならない.
 ときどきエラい人が見た目ばかりきれいだがアクセスしにくそうなホームページを見て,「こういう美しいウェブサイトだと盛り上がるんだけどねー」なんて言っている場面に出くわすことがあるのだが,そのたびに「見た目の美しさではなく,情報の適切な配置や分かりやすさこそが一番大事です」と口を酸っぱくして言っている.

 さて,もう今から10年くらい前,大学院生の頃だったか,僕は大学のサーバに自分のホームページを作り,自分の書いた雑文や友人と共同執筆した論文などを載せていた(ちなみに上で述べた「情報のマークアップ」の重要性などは,この当時に友人と論文に書いていたことである).ホームページ作成ツール等は一切用いず,テキストファイルにタグ打ちで書いていた.見た目の華やかさとは無縁な,あくまでも情報のデザインとしてのウェブサイトとして,それなりにきちんとしたものを作っているつもりであった.
 ある時,当時僕がネット関係のことを教わっていた先生の友人で,業界ではかなり知られた草分け的存在の研究者の方が,大学に遊びに来られたことがあり,お茶などいただきながらいろいろ貴重な話をうかがったことがあった.その際,僕は自分のホームページをその方に見ていただいたのであるが,その方は僕のページを見て開口一番.

「キミのホームページには色がついているな」

とおっしゃったのが記憶に実に強く残っている.確かに僕は,Webセーフカラーの範囲で文字や背景色をつけていたのである.
 HTMLという形式に基づく情報のマークアップにおいて,文字や背景の色などは見やすければ良いのであって,妙に凝ったものにする必要はないこと,また本来ホームページの文字の色やサイズ,背景の色などはそれを閲読する人の側でブラウザの設定を用いて決定するべきものであって,書き手の側で決めるべきものではないことなど,さまざまなことをその時ご教授いただいた.ホームページに必要なのは,見た目のデザインではなく,情報のデザインである,というその方の考えに今も僕は同意し,恭順するものである.

 それでは今ここで何故ブログという形式を僕がチョイスしているのか,と訊ねられれば,それはブログというコミュニケーションデザインのスタイルにはそれなりに固有の意義があるのではないか,と考えるからである.それにブログに書いたものできちんとした形で残しておく必要のあるものは,僕のウェブサイトの方にアーカイヴしておけば良い.
 そういうわけで,色がついたブログでこの文章を書いている.ブログというコミュニケーションデザインのあり方についてはまた日を改めてじっくり考えて書いてみたい.

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ホリエモンという呼称

 ヒトの呼称というものはつくづく面白い.「ライブドアの堀江社長」が,やがて「ホリエモン」としてお茶の間にまで広く認知されたのもつかの間,今では「堀江貴文容疑者」となってしまった.「容疑者」とつけるだけで天地がひっくり返るようなヒトの価値の転換がなされてしまったことが分かるわけだが,断じて「ホリエモン容疑者」とはならない.「容疑者」という呼称の前には本名しかこないのである.
「オウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫容疑者」という長ったらしいのも最近はあまり聞かなくなった.これは単に「容疑者」という呼称の特性に次第に従っていった結果ではなく,むしろ彼を「麻原彰晃」と呼ぶことが,一連のオウム事件被害者や脱会信者に与える心理的影響を鑑みてのことだと思われる.
 ヒトをどう呼ぶか,それも固有名とは別の部分でどう呼ぶかということには,そのヒトに対する意味付与が反映される.特に一般大衆にも広く知られているようないわゆる有名人においては,その意味付与には何らかの社会的・政治的な「意図」が反映される.

 そもそも,名づけ,というのはヒトの記号的操作の中でももっとも原初的な部類に属するものであり,そのメカニズムに関する考察としては言うまでもなく言語学,とりわけメタファーやメトニミーといった比喩表現における認知構造からのアプローチが数多く見られる.とりわけ,いわゆるアダ名やニックネームの類いはメタファーやメトニミーの宝庫である.
 例えば高校バスケットボールを描いたマンガ『SLAM DUNK』(井上雄彦著,集英社,1990-96年)を見てみよう.その登場人物,赤木剛憲のニックネーム「ゴリ」は(失礼ながら)赤木とゴリラとの類似関係に基づく直喩,木暮公延の「メガネ君」は木暮がメガネをかけていることに由来するメトニミー(「メガネ」という部分をもって彼を代表させている),三井寿の友人たちが彼を応援する時のキャッチフレーズ「炎の男」は,三井の執念深さに基づくメタファー(彼の執念深さを「炎」にたとえている)の典型例である.ちなみに,流川楓は主人公・桜木花道によって「キツネ」呼ばわりされてはいるが(これは直喩(釣り目)とメタファー(ずる賢い)の両方か),基本的には「流川」と呼び捨てであり,ここに彼との或る種の距離感,ニックネームで呼び合うようなタイプの関係性を彼がチームメイトと築いていないことが表現されているのも面白い.

 さて,本題に戻って「ホリエモン」である.ネットで調べたことなのであまり真偽は定かではないのだが,もともと学生時代の堀江氏のニックネームだったものが,後に彼が競走馬の馬主になりその馬の名前を公募した際に馬の名前として付けられ,それがやがて彼がマスコミ上で取り上げられてくるうちに,再び彼自身のニックネームとして使われるようになったという経緯のようである.
 したがって彼がそう呼ばれるようになった発端そのものはよく分からないのだが,我々がそのニックネームの中に無意識的に見ていたであろうものはある程度類推できる.すなわち藤子不二雄の「ドラえもん」である.
 マスコミが彼の呼称として「ホリエモン」というニックネームを好んで用いていたことは,単なるIT実業家としてではない,「アイデアマン」「仕掛人」としての彼の姿の中に,あたかも「ドラえもん」のような夢とユーモアを仮託していたことのひとつの表れといえる.むろん音声的な類似の方が先にあったのであろうことは言うまでもないが,その後景に付置されていた「ドラえもん」が彼の(今となっては)外形的なイメージ形成に一役買っていた(というか,使われてしまった)ことも否めない.実像はともあれ「ホリエモン」というニックネームが,閉塞感に被われていたここ数年の日本社会において,あたかもこれからの楽観的な先行きを示すかのように響き,そして,そのように響くことを目してさえ用いられていたことは想像に難くない.そうした彼のイメージをいわゆる「構造改革」のシンボルとして政治的に利用しようとした者もいたわけだが,このことは今日の政治がこうしたメタフォリックなイメージで動いてしまっていることの悲しい証でもある.

 今,我々は,こうしたイメージが,文字通り「虚像」に過ぎなかったことを見てしまった.今,マスコミが「堀江貴文容疑者」という呼称を連呼する事態のうちに我々が感じ取っているある種の「そらぞらしさ」は,「ホリエモン」というニックネームに付与されていた意味の虚しさと,彼がマスコミによってそういうニックネームを付与され,もてはやされ,そして捨てられたという事実に対する虚しさに起因する.
「ホリエモン」はおそらくもう帰って来ないだろうが,マスコミによる社会的・政治的な意味付与の恐ろしさを我々にまざまざと示したという点で,「堀江貴文」という名ではなく,「ホリエモン」という呼称の皮肉な響きをこそ我々はしっかり記憶に刻むべきであろう.


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テクストからブログへ

自分のウェブを作り,何ごとかを書き出したのは,90年代後半のことだった.

自分の名においてサイトを作り,さまざまな人との交流を重ねてゆくのはひとつの悦楽だった.
そして,10年あまりの時が経ち,今や経済的/社会的/文化的な情報の流通の手段としてウェブは急速な発展を遂げ,さらにはブログやソーシャルネットワーク・サイトなど,個々人がいわば「外部記憶」としてのウェブサイトを有するまでに至っている.

僕はといえば,その流れに逆らうかのように,ウェブを閉じ,ネット上での発信をやめていた.
テクストの戯れにいい加減嫌気がさしてしまっていた.
あるいは,嘘と裏切りと沈黙の前に,こころをくだかれたこともあった.
なにより,自分自身に吐き気をおぼえていた.

しかし,ネットを介してここまで僕が得てきた人のつながりは,僕に発信することを決してやめさせてはくれなかった.
自分のサイトを閉じてなお,ウェブの記事を読ませてほしい,新しいことを書いてほしい,これまで僕のテクストを読んでくれていた友人知己や名も顔も知らない読者の人たちから,さまざまなことばをいただいていた.
そのことばに応えることは,ずっとできなかったが,ネットの外で僕は発信を続けていた.それは今や僕の仕事の主要な一部をなしている.

しかし,今なにげないことが必然であるかのように僕の背中を押している.
なにげないきっかけに導かれるのは面白いことだ.

それが皆さんの望みであるならば,
とにかくもう一度,始めてみることにする.

テクストからブログへ.


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