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ホリエモンという呼称

 ヒトの呼称というものはつくづく面白い.「ライブドアの堀江社長」が,やがて「ホリエモン」としてお茶の間にまで広く認知されたのもつかの間,今では「堀江貴文容疑者」となってしまった.「容疑者」とつけるだけで天地がひっくり返るようなヒトの価値の転換がなされてしまったことが分かるわけだが,断じて「ホリエモン容疑者」とはならない.「容疑者」という呼称の前には本名しかこないのである.
「オウム真理教教祖・麻原彰晃こと松本智津夫容疑者」という長ったらしいのも最近はあまり聞かなくなった.これは単に「容疑者」という呼称の特性に次第に従っていった結果ではなく,むしろ彼を「麻原彰晃」と呼ぶことが,一連のオウム事件被害者や脱会信者に与える心理的影響を鑑みてのことだと思われる.
 ヒトをどう呼ぶか,それも固有名とは別の部分でどう呼ぶかということには,そのヒトに対する意味付与が反映される.特に一般大衆にも広く知られているようないわゆる有名人においては,その意味付与には何らかの社会的・政治的な「意図」が反映される.

 そもそも,名づけ,というのはヒトの記号的操作の中でももっとも原初的な部類に属するものであり,そのメカニズムに関する考察としては言うまでもなく言語学,とりわけメタファーやメトニミーといった比喩表現における認知構造からのアプローチが数多く見られる.とりわけ,いわゆるアダ名やニックネームの類いはメタファーやメトニミーの宝庫である.
 例えば高校バスケットボールを描いたマンガ『SLAM DUNK』(井上雄彦著,集英社,1990-96年)を見てみよう.その登場人物,赤木剛憲のニックネーム「ゴリ」は(失礼ながら)赤木とゴリラとの類似関係に基づく直喩,木暮公延の「メガネ君」は木暮がメガネをかけていることに由来するメトニミー(「メガネ」という部分をもって彼を代表させている),三井寿の友人たちが彼を応援する時のキャッチフレーズ「炎の男」は,三井の執念深さに基づくメタファー(彼の執念深さを「炎」にたとえている)の典型例である.ちなみに,流川楓は主人公・桜木花道によって「キツネ」呼ばわりされてはいるが(これは直喩(釣り目)とメタファー(ずる賢い)の両方か),基本的には「流川」と呼び捨てであり,ここに彼との或る種の距離感,ニックネームで呼び合うようなタイプの関係性を彼がチームメイトと築いていないことが表現されているのも面白い.

 さて,本題に戻って「ホリエモン」である.ネットで調べたことなのであまり真偽は定かではないのだが,もともと学生時代の堀江氏のニックネームだったものが,後に彼が競走馬の馬主になりその馬の名前を公募した際に馬の名前として付けられ,それがやがて彼がマスコミ上で取り上げられてくるうちに,再び彼自身のニックネームとして使われるようになったという経緯のようである.
 したがって彼がそう呼ばれるようになった発端そのものはよく分からないのだが,我々がそのニックネームの中に無意識的に見ていたであろうものはある程度類推できる.すなわち藤子不二雄の「ドラえもん」である.
 マスコミが彼の呼称として「ホリエモン」というニックネームを好んで用いていたことは,単なるIT実業家としてではない,「アイデアマン」「仕掛人」としての彼の姿の中に,あたかも「ドラえもん」のような夢とユーモアを仮託していたことのひとつの表れといえる.むろん音声的な類似の方が先にあったのであろうことは言うまでもないが,その後景に付置されていた「ドラえもん」が彼の(今となっては)外形的なイメージ形成に一役買っていた(というか,使われてしまった)ことも否めない.実像はともあれ「ホリエモン」というニックネームが,閉塞感に被われていたここ数年の日本社会において,あたかもこれからの楽観的な先行きを示すかのように響き,そして,そのように響くことを目してさえ用いられていたことは想像に難くない.そうした彼のイメージをいわゆる「構造改革」のシンボルとして政治的に利用しようとした者もいたわけだが,このことは今日の政治がこうしたメタフォリックなイメージで動いてしまっていることの悲しい証でもある.

 今,我々は,こうしたイメージが,文字通り「虚像」に過ぎなかったことを見てしまった.今,マスコミが「堀江貴文容疑者」という呼称を連呼する事態のうちに我々が感じ取っているある種の「そらぞらしさ」は,「ホリエモン」というニックネームに付与されていた意味の虚しさと,彼がマスコミによってそういうニックネームを付与され,もてはやされ,そして捨てられたという事実に対する虚しさに起因する.
「ホリエモン」はおそらくもう帰って来ないだろうが,マスコミによる社会的・政治的な意味付与の恐ろしさを我々にまざまざと示したという点で,「堀江貴文」という名ではなく,「ホリエモン」という呼称の皮肉な響きをこそ我々はしっかり記憶に刻むべきであろう.


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