孫悟空とヘリコプター
フジテレビの月9ドラマで『西遊記』が放送されている.『西遊記』といえば,私にとっては夏目雅子・堺正章・西田敏行・岸部シロー,主題歌はかのゴダイゴの「モンキーマジック」に「ガンダーラ」という,日本テレビ版『西遊記』(1978-79年)が強く思い起こされる.個人的には,ここからさらに1980年のNHK『シルクロード』につながって,中国/チベット/インドなどへの歴史ロマンと旅情を子どもながらに大いにかき立てられたのを覚えている.
今回のフジテレビ版は,香取慎吾・深津絵里・内村光良・伊藤敦史,主題歌はMonkey Majikの「Around The World」という布陣.伊藤八戒の相変わらずのヘタレぶりに,テレビの前で「電車,ガンバレ!」とか叫ぶ人も少なくないのではないだろうか.
さて,フジ版『西遊記』の初回,妖怪のコスプレをしている木村拓哉を観て,てっきり「おー,『スマスマ』で早速パロディをやっているのか」と思って観ていたら(時刻を1時間ばかり勘違い),『西遊記』そのものだったので,ビックリした.つくりものくささ丸出しのドラマという点では,日テレ版も同じようなものだったが,今にしてこれはないだろう,という印象である.
が,この直後,オープニングタイトルの箇所で,制作スタッフの意図があらわにされる.以下,このシーンについて簡単に記す:
青い閃光とともにSE,文字「ROAD to TENJIKU」.断崖の上に立つ香取慎吾=孫悟空の超ロングショット.旅する一行の姿をシルエット風にかぶせ,さらに意味ありげな鳥の絵などを一瞬オーバーラップさせてから,カメラは一気に背後から香取悟空に寄る.ここでヘリコプターの駆動音,如意棒を振り回す香取悟空,そして微妙なカメラ目線で如意棒を構えてキメのポーズ.ここで突如ヘリの音が消えてSE,カメラ一気に引くと同時にタイトル「西遊記」となる.
これはたいへん興味深いオープニングタイトル映像である.
何に最も興味を惹かれるかといえば,ヘリの音である.カメラの動き方から見てヘリコプターから撮影した映像を中心に使っていることは明らかだが,ヘリの音とカメラの動きは必ずしも連動してはいない.音自体は撮影の時のものを使っている可能性はあるが,明らかに後から入れた音である.ここでヘリの音をわざわざ入れて,こーンが「つくりもの」であることを示したのは,「異化効果」を狙ってのことである.
「異化効果」(あるいは「異化の手法」とも.defamiliarization 英, ostranienie 露, Verfremdungseffekt 独)とは,ロシア・フォルマリズムの創始者であるシクロフスキー(Shklovskii, Viktor Borisovitch,露,1893-1984)や,さらには劇作家・ブレヒト(Brecht, Bertolt,独,1898-1956)によって提唱・実践されてきた芸術上の方法論である.
すなわち,異化効果とは,芸術において,習慣化あるいは無意識化されてしまった言葉や形式をわざと異質なもの・新奇なものとすることで,観る者に衝撃を与えるアヴァンギャルドの手法のひとつであり,またブレヒト演劇においては,俳優の演じる役や物語内容に対する観客の感情移入と現実への同化をわざと妨げ,一定の距離を作り出すことで,演劇をあくまでもひとつの対象として批判的に鑑賞することを要求するための演出技法である(以上,『記号学大事典』(柏書房,2002年)を参照しつつ,筆者まとめ).
『西遊記』のヘリコプターの音も広義に考えれば,この異化効果といえる.ヘリの音ひとつ挿入することで,このドラマがあくまでもつくりものにすぎないということを視聴者に示し,そして断崖の上に立ち如意棒を振り回す孫悟空があくまでも「香取慎吾の孫悟空」であることをこのオープニングタイトル画面は高らかに宣しているのである.ここには,夏目雅子・堺正章の「西遊記」とは異なる,現代的なドラマとしての「西遊記」をオレたちは作っているんだ,という制作スタッフの心意気が読み取れる.
さらに「香取慎吾」という役者の特殊な性格もこの効果にひと役買っている.役に成り切ろうとしているのだが同時にあくまでもどこかしらに香取慎吾らしさをとどめてしまう,彼独特の「ヘタうま」さが持つ,役と俳優との微妙な乖離感がこの映像と音によって見事に表現されている.これが香取慎吾ではなく他の俳優だったなら,このオープニングタイトルにおける「異化効果」はおそらくここまで巧妙には決まるまい.香取慎吾,おそるべし.
日テレ版『西遊記』が持っていた独特の旅情をこのフジ版『西遊記』において見出すことはおそらく難しい.半年間2クールで放送された日テレ版(しかも続編もあった)と,現代のドラマの常として1クール速攻で作られるフジ版とではテレビドラマとしての組み立て方は最初から異なっている.昔の『西遊記』と比較してみること自体が誤りなのだと示したい部分もあったのだろう.
ちなみに,研究室にたむろしていた学生計6人にこのオープニングタイトル映像を見せてみたところ,筆者から指摘する前に「ヘリの音」をそれとして意識化できた学生は1人のみであった.現代におけるテレビドラマの鑑賞スタイルそのもののあり方を考えさせられる結果であった.
逆にその意味では,初回の木村拓哉妖怪を観て『スマスマ』と勘違いし,ヘリの音で「異化効果」だなんだとこんな文章を書いている筆者自身の鑑賞スタイルの問題をこそまず対象化して考えるべきなのだろうと,改めて自らの研究のあり方についてまで考えさせられて,さらに興味深かった.
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コメント
読んだよー
投稿: うむ。 | 2006年3月 3日 (金曜日) 06時09分
いかんいかん,コメントの表示設定を誤っていたよ.スマソ m(_ _)m
てゆうか,コメントそれだけか.うむ。らしいなw
投稿: PeaceMark | 2006年3月13日 (月曜日) 15時31分